深海の菊つくり
初めての菊つくりは震災のあった2011年3本立4鉢からのスタートでした。
菊は手をかければかけるほど良い花が咲くと言われています。
最終目標は全日本菊花連盟全国大会80回大会で最高賞を取ることです。
今はまず県で一位になりたいと思っています。
沢山の師匠からいろいろな面で支えていただきながらの菊つくりです。
諸先生方、バカなことも沢山すると思いますがどうか温かい目で見守っていただけると幸いです。
2011年
震災があった年、三本立て4鉢の栽培でした。震災の影響でなかなか苗が届きませんでした。完全に独学で、初めて県の菊花展に行って県の仲間の方々との交流が始まりました。奇形になったりで一鉢もまともには咲きませんでした。
2012年
本格的に始めました。菊の日記も始めて、いろいろな方と交流することが出来ました。何回か市内のベテランさんのところに見学に行きました。とても親切にしてくださいます。一番の失敗は「赤玉の改良」大失敗をしました。改良してもあまり意味がないという人もいるので今後赤玉は生で使います。
2013年
全菊連に入り、栽培のハウスも設置し、多くの鉢を育てました。初めて新花も育てて去年に比べて大きく成長できた年でした。大会にも初参加、出品で県大会では玉砕でしたが、第49回全日本菊花連盟全国大会砺波大会 新人の部で国華金山で「入選」をいただくことが出来ました。ですが諸先輩方からいろいろお叱りも受けて人間性も成長できたかな?
2014年
新しい趣味が増えたり、受験生だったり、人間関係がこじれたりと大変な一年でしたが、その嫌なことの代わりのいいことがまとまって「全菊連宮城県支部競技花大会」で来ました。競技花一席(全日本菊花連盟会長賞)と三席の入賞、一般花一席と三席の入賞でした。合計四本の入賞。昨年の四本出品したうち四本選外の玉砕とは天地の差で出品花の総てが入賞という形になりました。でも、まだまだ自分の花には満足していません。全国大会では通用どころか見向きもされないことは理解しています。全国大会でも通用する花を作っていこうと思います。全国大会にも出品したものの、花が傷み(?)入賞ならず。主催者様のご考慮により発表が遅れましたが、ワールド菊花大会にて昨年に続く準グランプリを「太平の銀峰」にて,初のグランプリを「開龍秋峰」にて受賞いたしました。
2015年
仙台商業高校に入学。本格的な追込型の栽培に変更。昨年同様非常に開花が早く大会出品に苦労しました。支部大会では一般花二席、競技花二席、一般花福助一席、ジャンボ福助三席でした。競技花二席は納得いかない審査でしたが審査員に文句を言う勇気などなく一席が二席に化けてしまった。支部大会への参加の続行に関して一考した。全日本菊花連盟全国大会に初めて花持参で参加。あらたな友好関係もできました。個人と学校で二人として参加しました。泉郷富水で個人で赤湯ワイン組合長賞、学校で入選でした。塩釜菊花会に入会を決心。
2016年
比較的平穏な一年でした。塩釜市菊花会に新入会。七月初旬のアザミウマによる被害で草勢が弱まり、根もできないまま秋を迎えました。支部大会では前年の屈辱を晴らすべく奮闘し、切花両部門で一位を獲得。塩釜ではいきなり二部門で一位を獲得。全菊連新潟大会では初めて一般部門に出品し「太平の銀峰」が入選。展示台の花で最も小さい花ながら入賞できたことは逆に名誉にも感じましたが、全菊連副会長のY氏に「もっと肥料をあげなきゃ」といわれてしまいました。来年はもっと大きくて気品ある花を咲かせたいと思います。「泉郷情熱」が非常によく咲きました。植える花夢さんの技術のパクリが良かったのだと思います。
2017年
地元私大法学部を受験。AO利用のため夏休みが非常に忙しい日々だった。菊もほとんど構えないうえ、史上最悪の天気。白さび場が蔓延して非常に苦労した。小鉢時期は大変良いスタートで期待した。支部大会も地方大会もまあまあの数受賞したが欲求不満な出来具合はっきりいだった。全国大会は花巻市。一本期待していた銀峰があったが輪台の調節のミスで花弁が食い込み台無し。いい教訓となった。全国大会出発当日に大学の二次試験の小論文試験があり、それを済ませてから出発。とても忙しい一年だった。
2018年
大学入学・学生部入部・インターンシップで新たな交流が生まれ、とても充実しながらも忙しい一年でした。生育時期に数日間家を空けるときがあり、母に水やりを任せたこともありました。大初めて県大会に三本仕立を出品し、尊敬するH氏の次の県会議長賞をいただきました。塩竈神社では県会議員賞をいただきました。国華園にも初参戦し、なんと切花総合6位、管物ではトップでした。全菊連宗像大会では出発時飛行機が欠航。5時間ほど遅れて宗像に到着。大本命の花で壇上を確信していましたが葉の不足といちゃもんがつけられ失格。しかし、肥料の賞を2つ頂いたので宗像三女神の「来年も頑張りなさい」という思し召しと思い来年へと気持ちを切り替えました。初審査はとても勉強になりました。全国大会で事件が起き、その件が発端で急遽大会1週間後に愛媛に。大学4年間が菊づくりをできる最後の時間であるということを意識し始めました。